阪南チーズ染晒協同組合は昭和39年11月25日に先代社長の甚野治輝(ジンノハルキ)が、今では珍しい協同組合という形でチーズ染色事業を発足させました。

その頃、泉州地域というのはタオルと玉ねぎが名産で、特にタオル産業が非常に発展、邁進していました。泉佐野市においては、明治20年に浴用タオルの製織が始まり、それがタオル工業発祥発展の根源となりました。

それから、明治37年にタオル用力織機が発明され、往来の足踏織機にくらべて格段にタオルの生産力が増しました。そして、その勢いを追って昭和10年頃には泉佐野市と今治市がタオルの主産地として形成されるようになりました。

特に泉佐野は後晒タオルが有名で、製織した後で漂白、染色するので、清潔で縮まず、高い吸水性、ソフトな肌ざわり、純白度が高いというのが特徴です。
しかし、中国製などの外国製品が市場に増えるにつれ、日本のタオル業界は圧迫されるようになりました。

昭和50年代には1000を超えてたタオル業者が、残念ながら2008年現在、400を下回るまで激減し、生産量も平成2年の48000トンをピークに平成20年現在では15000トンまで割り込んでいるという厳しい状況が続いています。日本のタオル産業がここ十年間縮小の一路をたどっている原因は様々考えられますが、やはり主な要因の一つに中国を中心とした外国製の安価なタオルが市場を多く占めるようになったことです。

今では、中国製のタオルも昔と比べ物にならないくらい質が上がり、日本製と見た目では全く区別できないくらいにまでなっています。そのため、企業などの大口需要はほとんど中国などに移っているというのが近年の現状です。

しかし、だからと言って日本製のタオルが市場から消えて無くなるということはあり得ないし、あってはならないことなのだと私は確信しています。日本製のタオルというのは、生産過程で日本人の意識が織り込まれています。ただ単に製品を作るということではなく、肌ざわり、使い心地はもちろんのこと、「いかに使う人に無害で、敏感な肌の人にも安心して使ってもらえるか。」常にそういう心使いや気持ちがタオルの隅々にまで織り込まれていると思います。
和の文化独特の「自分のことだけでなく周りの人に対しての気使い、心使い」というものが、生産過程で必ず現れているのです。

そのことを確信しながら、私達はこれからも自信と誇りを持ってこのタオル産業活性に努め、外国製品に負けない良質な日本製品を作っていくことに全力を尽くしたいと思います。

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